色んな人に死にたいと言ってきた癖に一向に死なない意気地なし、死に損ないの俺。
もはや「死ぬことができない」ことがコンプレックスになっている。

一度やると言ったらやる。自分の発言に責任を持つことを自分のアイデンティティと思うほど強く意識している。けど実際は都合の良い見方で、やりきらなかったこともいくつもあると思う。けどできるだけ実現のために努力はしてるつもりだ。
だからこそ、いつまでも死ねない自分の情けなさに辟易する。死にたいと思って実行に移しても苦しくて勇気がなくて、みっともなく生にすがりついている。例え自殺であろうと自分の発言には責任を持って全うするべき。その方が自分らしい。この責任感が自分の魅力だと唯一感じられるところなのに。
今いるのは江東区図書館。ここは9階でテラスもある居心地の良い所だ。試しにここで投げ身をする自分を空想する。テラスに出ると全身を凍える寒さが襲う。それを気にせず、真下は見ないように歩を進める。目の前の海とビル群の景色に集中しながら床のない場所に一歩踏み出す。それから強風が身体に吹きつけてさっきよりもっと寒くなった。地面と衝突するまで意識が保つのか分からないが、落下の間は強烈な恐怖と後悔、寒さに襲われるのだろう。
死にたいと言う癖して、明日の分のお米を炊いたり、おとなしく電車に乗って器用に通勤して、来年に届くフィギュアの予約をして、友達とまた遊びに行く約束をして。すべて矛盾している。
行方不明になった弟について母親が「あいつに死ぬ勇気なんてない。だから絶対に生きてる。」と電話越しに言われて絶句せざるを得なかった。電話の後も数十分の間、姿勢を変えることなくその場に座り込むことしかできなかった。以来この言葉は俺の心に深く突き刺さっている。
今読んでいた本に、偶然母親が息子の自殺企図を目撃したことで自殺を防いだ事例が載っていた。一度目はただ読み進めて気にもとめなかったが、同じページを半分以上読んだとき、昔の自分と同じ様なシチュエーションだったことに気づいて読み直すと急に涙があふれてきた。人のいる場所で急に泣き始めるなんておかしいし恥ずかしい。読んでる本に感動して涙していると思われたのなら気持ち的にはセーフだけど。
やめときゃよかったのに今日は自殺に関する本を3冊読んだ。本はまだいくつかあったけど参考になりそうなのはもう無かった。俺が本に何を求めていたのか考えると、希死念慮を抱えた自分を肯定してくれる言葉がほしかったのだと思う。折り合いの付け方とか先達の言葉が聞きたかった。でも本になってるのは自殺予防に関するものばかり。当事者として寄り添ってくれるものはない。仕方なく手に取った本は読んでみれば面白いものだったけど、一番ほしかった言葉は見つからなかった。それどころかたくさんの事例をみたせいで俺の希死念慮が強くなった。読書中、辛くなって何度も頭を抱えた。そのせいで今日こんな文章を書いている。
死ぬのが怖いというより、自殺を図るところから実際に死ぬまでが怖い。寒くて、苦しく、重たくて、文字通り死ぬほど辛いんだろう。そんなこと容易にはできない。
俺は今通勤訓練中だ。もうすぐ休職から復帰して働くことになっている。正直めちゃくちゃ辛い。が、ここでもう一度休んでしまったら本当にいつ復帰できるようになるのかわからない。人生設計のうえでさらなる休職は非常に危険だ。ならば、嘘をついて医者からOKをもらい、何ともない顔で上司と顔会わせして毎日出社しなければならない。俺はもう一生直らない。
もっとも大きいコンプレックスに「彼女がいたことがない」というのがある。人からすればなんてことないのかも、今時こんな男性も珍しくはないかもしれない。事実、友達にもそういう人が何人もいる。だが、他人と自分はまったく別だ。自分は自分のことをみっともないと思うが、人が同じ状況でもどうとも思わない。ただの個人的なコンプレックスで終始しているから別に偏見とかでもない。
就職先でできた友達をきっかけにマッチングアプリを始めた。それから服装や容姿にも人並みに気を遣えるようになった。ここまでに数年かかった。ユニクロに入ることすら困難だった俺が頑張れば一人で下北沢で古着屋に入ることができるようになった。1000円カットでとりあえず髪を短くして貰うだけだった俺が美容院でパーマをあて外出時にはヘアワックスつけるまでになった。眉毛専門のサロンに通った。100万払って薄毛治療をした。ヒゲと全身の脱毛もしている。おかげで、それなりにQOLもあがって自信もついた。学生時代の友達からは見違えるほど変わったと言われた。だけど、彼女はただの一度もできなかった。
2020年からアプリを始めてから5年たった。ショックなことがあって何度か中断しつつ、合計1年間以上はアプリの有料会員だったと思う。その間に会えた女性は一人。電話した女性は二人だけ。女性の選り好みなんて大層な真似していないのに。写真も友達に手伝ってもらって色々頑張ったんだけど本当にダメだった。彼女が欲しくて今まで頑張ったのに何も得られなかった。無数にストレスを受けただけで終わった。何の意味もなかった。
もし今後一生彼女ができないのならこの先の人生を生きる意味は完全に0だ。彼女を作りたい理由はいくつかある。彼女を作れる人並みの人間性、コミュニケーション能力を持っている証左になるからだ。でも一番は人から愛されたいと切に願っている。俺は繰り返し「人から愛されたことのない人生は寂しい」と胸中で唱えている。家族はこの有り様、奇跡的に最近は去年より友人関係に恵まれているが、愛ではない。異性と親密な関係性を持つことなんて俺以外誰でもやっている。外を歩けばいくらでもカップルがいるし、すべての人間が両親の性交を経て生まれた命だ。世界はこんなにも男女関係にあふれている。むしろそのうえに世界が成り立っている。だけど俺には何も出来ない。生きている意味がない。
俺は普通じゃない。子供の頃から逆張り的思考で、変なインターネットばかり見て育って頭のおかしい大きな子どもに成り果ててしまった。趣味もキモければ思想もキモい。偏見まみれで空想の中で自殺するのが癖になってて性癖もこじらせて気色悪いったらありゃあしない。本当に死んだほうが良い。
今まで自分の不幸を面白おかしく他人に話すことでウケをとってきた。そういうピエロ根性が染み付いていて、自分にとって本当に悲しいことでも茶化して言いふらしてしまう。だけど、ひとりでいるときは同じ話を思い出して泣いている。こんなの健康的じゃない。だから今年はもうできるだけやらないようにしたい。けど、友達からはそれを求められている気がするし、それ以外に俺ができることがなんなのかわからない。自虐をしない俺を面白いと思ってくれるのだろうか。

誰かに愛されたい。それが叶わないなら今すぐ殺してほしい。

<<追記 2025/2/12>>
どうにか感情の谷を超えて今はそこそこ元気にしている。
あまりに恥ずかしい文章を消すべきかどうか悩んだが、これもひとつのメモリーとして取っておくことにした。思っていることは今でも変わらないし嘘もないし。20代のうちには死にたいよな。